Apple Watchをめぐる衝突がきっかけか
iMacやiPhoneを手がけたデザイナーのジョニー・アイブ、アップル退社までの数年が明らかに
カリスマ的な指導者だったスティーブ・ジョブズ氏が逝去した後、アップルはどうなるのか? そう世界中が問いかけた2011年から10以上が経過した現在、同社はそれまで以上に好調で、今年初めには時価総額が一時初の3兆ドルを超えたこともあった。
しかし、米New York Timesの記者トリップ・ミクル(Tripp Mickle)による新刊「アフター・スティーブ(After Steve)」では、アップルがいかにして3兆ドル規模の企業になる一方で、魂を失ったかが振り返られている。その理由の1つが、かつての最高デザイン責任者ジョニー・アイブ氏の退社である。
ミクル記者はNYT紙の記事で本の一部を抜粋し、アイブ氏が退社するまでの最後の数年間について語っている。2014年時点では、アップルの未来は、以前にも増してアイブ氏にかかっているように思えたという。彼のピュアかつシンプルなデザインは、iMacやiPod、iPhoneといった人気製品を通じて、すでに世界を塗り替えていたからだ。
ことの始まりとされているのが、アイブ氏がティム・クックCEOとテーブルを囲んで画期的な新製品・Apple Watchについて話し合っていた会議である。
アイブ氏が思い描くApple Watchの未来は、ラグジュアリー(ぜいたく)な製品だった。初代モデルのプロモーションとして2500万ドルの豪華な白いテントを建てようとしたばかりか「Vogue誌の絶賛を、どんな技術評論家の意見よりも重要視していた」という。「高級ファッションショーのような華やかなイベント」にしたかったそうだ。
ふたりは言い争った末に、結局クックCEOはアイブ氏のアイディを受け入れたとのことだ。が、アイブ氏は後にこれを「ピュロスの勝利」と表現しているという。「損害が大きく、得るものが少ない勝利」のことである。
アイブ氏はこのApple Watchをめぐる衝突が、「アップルから支持されていない」と感じた最初の瞬間の一つだったと同僚らに語っているそうだ。その後、Apple Watchがファッション製品から健康管理のフィットネス製品に移行していったのは、周知の事実である。
それでもクックCEOは、ジョブズ亡き後にアイブ氏を失うことに慎重になっていたという。2014年といえば逝去から3年後だが「アイブ氏の離脱によってアップルの市場価値は500億ドル以上、あるいは10%もの価値が失われると見積もっていた」ために、アイブ氏のテント構想を乗ることにしたそうだ。
また一方でアイブ氏もデザイン最高責任者になったことで「長年運営してきた20人のデザインチームの何倍にもなる、数百人に及ぶスタッフを管理することに圧倒された」とも語られている。そうした変化のなかで、アイブ氏はクックCEOに「自分は疲れているので、ビジネスから身を引きたい」と告げたという。ジョブズ氏抜きで製品のデザインやマーケティングに多大な責任を負うことや、地位をめぐって同僚と争うことにも疲弊していたようだ。
しかしアップル株の下落を恐れたクックCEOはアイブ氏を引き留め、日常的な経営責任を放棄し、主に新製品に携わることで合意した。社内のごく一部の人間だけが、アイブ氏の不満と燃え尽き症候群の真相を知っていたという。
退社前のアイブ氏はMacBook Proなどに採用されたバタフライ式キーボードに関わっていたとの噂もある。この方式はアイブ氏らしい薄さや美しさへのこだわりが窺われたが、構造的にゴミが入り込みやすく、集団訴訟を起こされることにも繋がっていた。アイブ氏が世界を一変させたことは事実ではあれ、「美しさよりも使いやすさ」を求める一般ユーザーとは意識のズレが生じていたのかもしれない。
- Source: The New York Times
- via: 9to5Mac