「マッドマックス2」は人生

ヒャッハー!GTAの『マッドマックス2』化を18年続けている変人がいた

Image:Lauren Elisabeth/Shutterstock.com

犯罪をテーマとした大ヒットゲーム『Grand Theft Auto:San Andreas』(以下「GTASA」)が発売されたのは2004年10月で、すでに18年前のことになる。

それを世紀末的アクション映画『マッドマックス2』風に変えるMOD(ゲームソフトの改変データやプログラム)を、足かけ20年近く開発し続けている人物の話が伝えられている。

この人物アーロン・デノー(Aaron Deneau)氏がMOD開発に取り掛かったのは、「GTASA」が発売される8ヶ月前のことだ。デノー氏はゲーム本編の発売当日である10月26日、GTAフォーラムに、製作途中のMOD「Mad Max 2 Road Warrior」について初めて投稿したのだった

当時の投稿でデノー氏は「モデリングとマッピングが約9割なので、今のうちに全部やっておくと、(ゲームが)出たときにとても楽になる」と述べていた。それから18年以上も経った今なお、MODの開発は続いているのだ。

物量的に巨大なために、必然的に多くのボランティアの協力を募ることになった。が、ある者は単に興味を失い、またある主要な貢献者は交通事故で亡くなった。生活苦でホームレスになった者もいれば、国家の政変で母国を離れ、MODどころではなくなったという。

当初のやり取りはMSNメッセンジャーで行われたが、それもより現代的なコミュニケーションツールに移行している。フォーラムやFacebookでは時に激しい議論が交わされることもあり、『ハリー・ポッター』の女優エマ・ワトソンと名乗る人物が忠告してきたこともあったそうだ。

2016年、デノー氏はプロジェクトに対する関心の低下に苛立ち、弟が癌と診断されたこともあり、MODから一時引退した。

しかし、いつしか再び、自らの心をつかんだ映画とゲームのために、車両と武器のモデリングを疲れ知らずで作り続けるようになっていた。

足かけ20年近く無給で趣味の作業を続けてきたデノー氏は、生涯かけて「GTA SA」用の「マッドマックス2」MODを完成させると決意したとのことだ。

なぜ協力者の関心が低下してきたかといえば、途中で『GTA4』などゲームの続編が登場した事情が大きい。それぞれの作業に対価を支払うべきかどうかをめぐり、内輪もめが発生したのである。デノー氏は誰もが無償で貢献すべきだと主張したものの、他人のノウハウに頼りすぎているとの非難を浴びた。本人は自分のスキルの限界は早くから分かっていたとして、時に周囲と対立したことを後悔していると述べている。

しかし一時引退から2年後、デノー氏は弟のガンが長期にわたり寛解したこともあり、再びMOD作業に復帰。それまでに14年をかけた何百ものマッドマックス車両や武器、キャラクターモデルに手を加えることになったという。

今のデノー氏の夢は、テクスチャやリギング(3Dキャラクターに動きを付けるしくみを付ける作業)、マップ作成やキャラクターモデルのデザインに協力するフルチームに、再び関心を持ってもらうことだそうだ。破壊されたシドニー・オペラハウスや壊滅したシドニー・ハーバーなど、歯ごたえのある作業の多くが残っているようだ。

この「GTA Road Warrior」プロジェクトに注がれた努力の数々は、デノー氏のアートステーションで確認できる。またGTAフォーラムでは「T-808」ことデノー氏と連絡を取れるので、何らかの形で貢献したい人は声をかけてみるのもいいだろう。

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